介護の仕事は続けたいけど、給料アップも目指したい!
という方は参考にしてくださいね。
私が介護の世界に入ったのは2002年。早いもので約20年が経ちました。
初任給は月収17万円で年収270万円ほどでしたが、今は月収50万円近く頂き年収ベースでは600万円以上も頂けるまでに成長しました。
世間では「介護職=給料が安い」と言われていますが、私自身はそのように思った事は一度もありません。もちろん月収17万円の時から。
社会人として、いち介護職員として日々成長し、様々な責任を背負い続ける事で上司から評価され、役職が上がるたびに年収も右肩上がりにアップしていきました。
しかし、それは決して楽な道のりではなく、人並み以上の努力を惜しまずやって来たからです。
介護職で給与アップを実現するなら迷わず上の立場を目指すべきです。
そして訪れたチャンスを確実に掴み続ける事です。
チャンスは前触れなく突然やってきます。そのチャンスをいかに物にするか!
そして、そのチャンスに備えて日々をどう行動するかが大切です。
職場の愚痴を言うくらいなら、上司の気持ちを動かせるような資料・データを集めてプレゼンする方が良いです。
毎日の積み上げこそが上司から評価され、一目置いてもらえる存在になるのです。
当ブログでは、今の給料に満足できない頑張る介護職員のために、私が年収600万円以上を達成した方法・取り組み方を実体験をもとに解説しています。
介護職員1年目に訪れた壁!自分に課した【たった1つのルール】
私は専門学校を卒業し、自宅から程近い地方の特養に介護職員として就職しました。
特に就職説明会や見学会にも出席せず、新聞の折込チラシでたまたま“介護職員 募集”の案内を見つけて応募したのです。
私は介護職員として働き始めました。
しかし、勤め先での介護は理想とは違い新卒の私にとって衝撃的な光景でした。
挙げればキリがありませんでした。
そんな施設に入職して半年で私は副主任になり、従来の大規模特養をユニット化にするべく、その一つのユニットを任されました。
しかし、形だけを変えても何も変わりませんでした。
要するに大規模特養を単に小さく分割しただけの小さな特養の集まりを作っただけに過ぎなかったのです。
ユニットケアどころか介護の本質すら分かっていなかった新卒一年目の私にとって、ユニットリーダーは大変荷が重く、役割を果たせぬままこの特養から去ることになったのです。
そしてこの失敗から私は自分に1つだけルールを課すことにしたのです。
普通の感覚を持ち続けるというルール
それが、『人として普通の感覚を持ち続ける』という事でした。
初めて勤めた職場での衝撃的な光景!
きっと初めて見た時は誰もが違和感を覚えたであろう光景であっても、毎日の繰り返しで違和感から当たり前の光景に変わっていく。
その雰囲気に飲み込まれず、それを当たり前と思わず、疑問を持ってお年寄りの表情を見続けてきたからこそ、自分に課すことができたルール。それが「いつでも普通の感覚を持っておく」ということでした。
えっ!
普通の感覚?
そう、介護施設にどっぷり浸かると当たり前を忘れてしまう事があるよね。
自分に置き換えてみると分かりやすいかな。
必ずしも自分がして欲しい事を相手も望んでいるとは限りませんが、少なくとも普通とはかけ離れた生活が私の目の前には存在していたのです。
『いつでも普通の感覚を持ち続ける!』
これが介護の世界に飛び込んだ2年目の自分に課したルールであり、そう決めた事が自分にとって大きな転換期となったのです。
ルールを律するためにやり続けた自問自答
私はこの仕事をしてきて20年になりますが、未だかつて心の底から良かったと思える介護をやり遂げたことが一度もありません。
100人もの方を看取ってもなお、未だに反省と後悔が尽きる事がないのです。
ご家族からいくら感謝され、評判が評判を生み地域で高い評価を得ても、私の心のどこかで本当にこれで良かったのか…そう問いかけている自分が存在します。
現状に満足してしまうとお年寄りの暮らしを良くしていく事なんてできないし、そして自分の成長、ひいては施設の発展にも繋がらない、そう思って取り組んできました。
この18年、私が成長し続けてこられたのは、紛れもなく2年目の自分に課したルールを律する為に「なぜ」「これで良かったのか」「本当に今からやろうとしている事はその人の為になるのか」そんな事を繰り返し自問自答し続け、一貫した考えで取り組んできたからです。
理想の介護施設を作りたい!そのために妥協しなかった18年間
私は最初に勤めた特養を辞め、新しくできたユニット型特養に転職しました。
そこでの介護は、これまで自分が見てきた流作業の介護を根底からぶち壊し、管理する特養ではなく制限のない真心のこもった温かい介護が日々お年寄りに提供されていたのです。
自由と聞くと放ったらかしという印象を持たれるかもしれませんがそうではなく、お年寄り一人ひとりの気持ちに寄り添い真正面から受け止めて実践していたのです。
私はココだ!と思いました。
介護施設の理想が現実になった時!
転職先のユニット型特養は、初めて勤めた特養の衝撃的な光景とは全く異なり、まさに「自由」という言葉が相応しかったのです。
- 起きる時間も寝る時間も自由
- 行きたい時に行けるトイレ
- 食べたくない物は残してOK
- 時間を気にせず入れるお風呂
職員同士のやりとりも…
私、Bさんがお寿司を食べたいって言ってるから今から一緒に買いに行ってくるね!
Cさんがどうしてもお風呂に入りたいって言ってるから今から入ってもらうね!
そんなやりが日常の生活場面で交わされていたのです。
つまり、この施設ではお年寄りがして欲しい事、職員がお年寄りの為にやってあげたい事がごくごく当たり前のように展開されていたのです。
そして、介護業界に入って3年目、この施設で私は再びユニットリーダーを任されることになったのです。
時間で管理しない、制限のない暮らしを目指す
お年寄りを時間で管理しない、制限のない暮らしこそがお年寄りを元気にするということを私は確信しました。
お年寄りが「生きること」を諦める瞬間です。
しかし、どうでしょう。
本来、こういう状況は誰も望んでいないだろうし、自分がこのような介護を受けるとしたら受け入れられないだろうし、人手が少ないとか忙しいから出来ないとかそういう問題ではなく、何がなんでも自分はしたくないと心に決めたのです。
時間で管理する特養の体質を私は受け入れられませんでした。
そして私は、この時ある3つの誓いを実践することを決めたのです。
『介護の理想は実現できる!私が特養でやり続けた3つの誓い』はこちら。
知識の習得と技術のスキルアップに欠かせなかった自己研鑽
私は興味がある本を片っ端から読み、テーマにひかれたら研修には積極的に参加してきました。
研修では広く浅く、そして本でしっかりと理解を深める事を続けていきました。
そして学んだことは、忘れないように介護場面で実践することを怠りませんでした。
介護スタッフは良き仲間であり、良きライバル!
研修で学んだ事は直ぐに同僚にアウトプットして知識の定着をはかりました。
同時に担当ユニットのお年寄りに活かせる介護技術は積極的に取り入れていきました。
現状の介護に満足する事なく、お年寄りにとって良いと思ったことは新しい介護技術でも率先して取り入れていきましたよ。
お年寄りの暮らしを今よりも良くしていくには、知識と技術の習得が欠かせませんでした。
そして、私は他のユニットリーダーには絶対負けたくないという強い気持ちで日々の介護に取り組んでいったのです。
介護本は自分軸を磨くための参考書!
本は単に知識を増やすだけに止まらず、自分の介護観の形成にも大きな影響を与えてくれました。
いくら著名な講師の方の言葉や発言であっても、全てを鵜呑みにせず「本当に言ってることが正しいのだろうか」と自分に問うことを続けていきました。
講師と言えども神様ではありません。経験や知識は豊富でも私たちが勤める施設の事やお年寄りのことを隅々まで理解しているわけではないのです。
しかし、例え書かれている内容が施設の理念や自分の信念と異なる話であっても、そこから学びに変えることをやっていきました。
つまり、本を読んで知識を増やしながら自分の介護観を確認する材料にしていったのです。
介護で大切なことは入居者が教えてくれた
私の成長を支えてくれたのは、紛れもなく入居者の皆さんでした。
こんな事も知らないのか!と言わんばかりの仕草・表情・態度で私に気付きを与えてくれたのです。
20年間も介護現場の第一線で仕事をしていると、お年寄りから顔を殴られたり、杖で身体を叩かれたり、物を投げつけられたりする事もありました。
そして時には差別的な発言を受ける事もあったのです。
勿論、私も人間なので、叩かれたり馬鹿にされると腹も立つ訳です。
そんな時、私の心を救ってくれたのが一冊の認知症の本だったのです。
人の行動には必ず理由がある
私はその本との出会いがあり、認知症の方への見方や関わり方が大きく変わっていきました。
その本には「人の行動にはそこに至った原因が必ずある」と記されていたのです。
今考えればごくごく当たり前の話ですが、当時の私は今ほどの余裕もなく、この本の言葉に目から鱗が落ちたのでした。
それ以来、認知症介護にのめり込むようになり、私はお年寄りの行動を細かく観察するようになりました。
認知症の方が笑顔になる瞬間
私が勤める施設には、1日の大半を不機嫌に過ごすAさんという方がいました。
いつも眉を吊り上げ重々しい空気感を出していました。
そんなAさんが少しでも穏やかに過ごせるように、ユニットの仲間と一緒にAさんの介護記録を振り返ってみる事にしたのです。
すると驚いたことに、Aさんの発言にはそれぞれ意味がある事に気が付いたのです。
- 母親の名前を言う時→空腹の訴え
- 息子の名前を言う時→母親としての存在
- 他の方と少し距離をとって過ごしている時→失禁している時
- 食事を残す時→息子の分
介護記録を遡ることで、Aさんという方の母親としての役割や古き良き時代にかえって生きている光景がここ施設に存在している事を知ったのです。
行動の裏には必ず理由があることを実感できた瞬間でした。
それ以来、Aさんの優しい笑顔がユニットの中を包み込み、それを見た職員にも笑顔が溢れるようになりました。私にとってこのAさんとの出会いはかけがえのないものとなったのです。
“介護に正解はない事はない”という証明を自らそしてチームでやり遂げたのです。
認知症のお年寄りはいつも私たちに大切なことを教えてくれました。
介護施設で長く勤めるために最も重視したこと
介護一年目の頃は転職の事ばかりを考えていました。
それもそのはず、自分が想像していた介護、やりたい介護がそこには無かったからです。
私は目先の給料よりも働き甲斐を求めて新たな施設を求めました。
今思えば、本当に転職して良かったと思います。
- 今日はBさんにどうアプローチして穏やかに過ごしてもらおうか!
- 今日はCさんを一度も失禁させずに頑張ってみよう!
- そろそろDさんも布のパンツにできそうだな!
- そう言えばこの前、上司が介護って何だ?って言ってたな。よし自分なりの介護を考えてみよう!
毎日のように考えることが尽きませんでした。
そうやって仕事へのやり甲斐を今の施設で見出していったのです。
私が今の施設で長く勤めてこられたのは、私たちが目指す介護を信じてくれた上司と介護と本気で向き合う同僚との出会いがあったからに他ありません。
介護職員として努力が実を結んだ瞬間
そして、介護士として働き始めて5年10年と経過し、やがて私は全てのユニットをまとめる責任者となりました。これまでの努力が上司から評価された瞬間でした。
私は特に給料のために頑張ってきた訳ではありませんが、取り組みを認められて常に責任ある立場で仕事をしてきました。
いつも肩に何かがのし掛かっているそんな状況はある意味で私の頑張る原動力になっていったのです。
気を抜く暇もなく、走り続けた20年でした。
気付けば月収は50万円近く、そして年収は600万円以上も頂けるようになっていました。
介護職員としてこれを多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだと思いますが、今の施設で頑張ると決めて、転職せずにがむしゃらに働いた私への評価だと思っています。
転職せず努力で勝ち取った年収600万円
私はこの20年で給料が安いと言って辞めていった人をたくさん見てきました。
中には職場を変え大成功を収めた人もいますが、逆に転職が上手くいかずその後も転々と働く場所を変え、結局一向に給料が上がっていないという方もたくさん見てきました。
むしろ後者の方が私の周りでは多いです。
給料が理由で辞める人はまた給料を理由に辞めていくよね。
何年経っても出世できずいつも新人並みのお給料。
つまり一時的に給料は上がったとしても、望む金額にはなかなか手が届かないんだよね。
介護業界はそもそも青天井ではないのでいくら企業努力をしても利益を大幅に上げることはできません。年間で得られる総収入がおおよそ決まっているので、職員に支払える人件費の割合も決まっているのです。
つまり、他施設から引き抜かれるような事がない限り、月20万円の給料が転職して突然月30万円になるという夢のような事はないのです。
一番の給与アップの近道はコツコツ頑張ること!
私は、目先のお給料よりも自分が長く勤められる施設を早い段階で見つけ、誰よりもお年寄りのことを考えて努力してきました。そしてこの行動が評価されて気が付けば月収も新卒時代の2倍以上になっていたのです。
人並み以上に努力をすれば結果は必ず付いてきますよ。
急がず慌てず今その瞬間を頑張っていきましょう!
良い介護施設の見分け方が分からないという方は、こちらの【新卒必見】就活で良い介護施設を選ぶための観察ポイントをどうぞ。
そして私はこれからもこの言葉を忘れず頑張っていこうと思います。
給料アップを望んでいる介護職員さんは多いと思いますが、上を目指すか転職するか、皆さんはどちらを選びどんな道を歩んでいきたいですか。
特養の介護職員が年収600万円を達成した道のり【まとめ】
こちらの記事では『私が特養の介護職員として約20年で年収600万円に到達した道のり』について実体験をもとにお話してきました。
介護職員の方で転職を考えている方は多いと思いますが、転職が本当に給与アップの近道になるのかしっかりと考えたいですよね。
もしかすると、貴方も直ぐそこに出世チャンスが近づいて来ているかもしれませんよ。
それをみすみす逃してしまって転職するのは非常に勿体ないことです。
手当が付けば年収は一気に跳ね上がります。
転職を繰り返してチャンスを逃し続けるのは懸命な判断とは言えないのかもしれませんね。
だからこそです!
- 転職するなら若いうちに!ココという施設が見つかれば腰を据えて頑張ろう。
- 人並み以上に勉強して、同僚や上司から一目置かれる存在になろう。
- 一目置かれる存在になるには「軸」をブラさずしっかりとお年寄りと向き合おう。
- それには「当たり前の感覚」を見失わないように自問自答を繰り返そう。
専門職として働くからには、自分が成長できる介護施設で働きたいものですね。